|
福島県出身
三河国三春藩の豪商・河野広可の三男として生まれ、川前紫渓に儒学を学ぶ。 その影響で尊皇攘夷を唱えていたが、明治維新後はジョン・スチュアート・ミルの 著書「自由之理」を読み感化、自由民権運動を提唱。 その後1875年に石陽社を、78年には三師社を地元三春に設立し東北地方の 自由民権運動の拠点とした。 また全国では板垣退助を中心とした自由民権運動を推進している愛国社が各地に 進出しており派閥を拡大していたが野中もこの運動に参加。 1881年自由党の結成に参加し党幹部として東北地方を任されていたが、翌82年の 福島事件(福島県令三島通庸の暴政に対して農民らが起こした騒動)の際、内乱陰謀の 容疑で検挙されることとなった。(89年出獄) 出獄後は90年に第1回衆議院議員総選挙に出馬、初当選となる。 河野は当初自由党に所属し東北地方の絶大な権力を武器に第二次伊藤内閣と対立。 しかし次第に伊藤内閣とは調和するようになり今度は党内で星亨や土佐派と対立 するようになり自由党を離脱、憲政本党の結成に関わり1903年には衆議院議長を 務めた。 その後、10年に立憲国民党ついで13年立憲同志会を設立し第2次大隈内閣では 農商務大臣を務めた。
|