11代 永楽善五郎(西村保全)
Zengoro Eiraku11th

陶芸家

1771 ( 明和8 )〜 1841 ( 天保12 )

通称:善五郎のち善一郎、永楽
号:保全、陶釣軒

【出身地・師系】
京都出身 師、十代了全・狩野永岳(画)・新宮涼庭(蘭学)・香川景恒(和歌)など

【所属・任】
千家職家(千家十職)

【略歴・作風など】
十代了全の養子。

初め、大徳寺・大綱宗彦のもとで喝食となるが、大綱宗彦の世話により12,3歳ころに了全の養子となる。その後、作陶を研究し、1817(文化14)には、善五郎を襲名、また、1827(文政10)には父・了全や吸江斎宗左、楽旦入らとともに、紀州徳川候に召されて紀州御庭焼に従事、治宝卿より「永楽」「河濱支流」の印を拝領し以後箱書きなどに「永楽」を使用するようになる。1843(天保14)年に家業を子の仙太郎(後の和全)に譲り善一郎と号すが、これ以降に優作の作品を多く残しており1846(弘化3)には、鷹司公より「陶釣軒」の号と印を賜る。晩年には、保全と号し江戸に赴きその後、京には帰らず近江で湖南焼を創始、また一時高槻の永井候に召され、高槻にて染付けなどを作陶するなど各地で活躍した。作風としては、おもに金襴手、染付け、安南写、交趾焼、祥瑞写などの茶器、日用品を製作した。

〔陶 印〕
「永樂」(永楽) 「保全」 「長等山」 「陶釣」 「河濱」(「河浜」) 「三井御濱」 「高」 「河濱支流」 など

〔市場評価〕★★

関連: 大綱宗彦 10代 永楽善五郎(西村了全)

落 款 ・ 印 章







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